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| NSN麻布十番 > 地域情報 > 赤い靴 | ||
| 『赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった』 野口雨情が作詞したこの童謡を, 誰でも聞いたことがあるかと思います。 麻布十番のパティオ十番に |
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作詞 / 野口雨情
作曲 / 本居長世 赤い靴 はいてた 横浜の 埠頭から 今では 青い目に 赤い靴 見るたびに |
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「きみちゃん」 佐々木至 作 |
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| この「赤い靴をはいた女の子」は, 実在の少女だったという事もご存知ですか? |
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この歌詞に登場する女の子の名は「きみ」ちゃん。実在の女の子です。 母の名は「岩崎かよ」未婚の母でした。父親の名を明かせない私生児ということから世間の風当たりは厳しく、娘ともども開拓団として北海道の函館へ、たどり着いたのです。 しかし、ヒュエット夫妻が帰国する事になった時、「きみ」ちゃんは当時不治の病とされていた結核に侵されてしまいます。結核を発病した彼女は、船旅ができずやむなく麻布十番の鳥居坂教会の孤児院(永坂教会孤児院・現在の「十番稲荷神社」のある場所)に預けられてしまいました。そして「きみ」ちゃんは、3年間の闘病生活の末、9才というあまりにも短い生涯を終えたのでした。明治44年9月15日の夜のことでした。 「きみ」ちゃんを託してから2年後、母「かよ」は入植に失敗、鈴木志郎との間に生まれた娘「その」を連れて札幌に出ました。 「赤い靴」の女の子のモデルが明らかになったのは、昭和48年11月の新聞の夕刊に掲載された、『野口雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会った事も無い私の姉です。』という「岡その」さんの投稿記事がきっかけでした。この記事を当時北海道テレビ記者だった菊池寛さんが知り、5年余りの歳月をかけて女の子が実在していたことをつきとめました。 パティオ十番の銅像は、このような不幸を繰り返さないため、十番商店街の人たちによって平成元年2月28日に作られました。 |
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| きみちゃんのお墓は青山霊園のなかにある鳥居坂教会の共同墓地にあります。その墓碑には「佐野きみ」と刻まれている。佐野はきみちゃんの実父の姓とのことです。 | ||||||
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